不思議の国のバード。昨今の日本での事件を見るにつけて”もはや日本人が日本人で無くなった”と嘆くことが多くなった。明治11年頃日本を探検したイギリス人の手記を元にした漫画は懐かしい日本の原風景や原生活を思い起こさせてくれる。
昨年9月末で期限付きの賃貸契約が終わった後のチャレンジショップの利活用はどうなるのかなと思っていましたが、再び同じシモンフッドさんが再開してくれるようです。地質の宝庫ー地窓クリッペ群 見て歩き
下仁田町を中心としたジオパークへ向けてのジオサイト関連情報を紹介しているサポーターです
2023年2月3日金曜日
2022年11月24日木曜日
暫く投稿を休んでいた当ブログhttp://geo-shi.blogspot.com/をちょっちょずつ再開します。
https://iwazaki.wordpress.com/ のブログはお休みます。
昨日は、橋本聖子さんのご講演を拝聴させていただきました。橋本さんは三男三女の母という紹介に会場はどよめきと拍手が起きました。
東京オリンピック開催前は、多くの反対意見があり、しかもコロナ禍中にての開催は、大変だったようです。サイバー攻撃も4億回を超えたが、全部ホワイトハッカーが阻止したこと。また一定場所に閉じ込められた選手村内では、疫学的にも日本国内では存在していなかった菌やウイルスが見つかったこと。国際交流は日常茶飯事の今日、いつどこでもパンデミックのようなことが起きうる知見が得られたこと。また万全の医療体制のお陰で病床ベットが5床以内の使用で終えることができたこと。また特に発展途上国からの選手は、歯科や婦人科に一度もかかったことが無い選手が沢山いたことで、開発途上国への支援のあり方も研究できたことなどなど。医療はじめ多くにレガシーとなりの今後の資料として生かされることを願います。
オリンピック終了後は、国内外から開催の意義に多くの賛意と賞賛、評価が高かったこと。
2016年12月16日金曜日
日本ジオパーク下仁田応援団会議
久しぶりにブログを再開します。
特に日本ジオパークの認定になっている「下仁田ジオパーク」と、その「日本ジオパーク下仁田応援団」に限定して、なるべくありのままをお伝えしたいと思います。
会議の内容については、後日改めて掲載していきます。下仁田ジオパークオフィシャルサイト
特に日本ジオパークの認定になっている「下仁田ジオパーク」と、その「日本ジオパーク下仁田応援団」に限定して、なるべくありのままをお伝えしたいと思います。
会議の内容については、後日改めて掲載していきます。下仁田ジオパークオフィシャルサイト
2011年7月1日金曜日
2011年6月5日日曜日
2011年6月4日土曜日
2011年5月24日火曜日
ジオパーク申請プレゼン審査に参加して
年大会 パブリックセッション O-22,O-23"が幕張メッセで行われた。午前中は、世界ジオパーク申請関係が行われたようだ。午後から7地域(団体)の申請者のプレゼンが行われた。会場は超満員。
下仁田町は丁度真ん中の4番目で、ジオパーク推進室職員関谷くんによるパワーポイントを使い説明時間10分を使い切って、分かりやすく上手に出来たと思います。委員から10分間の質疑にも的確に回答出来たのではないかと感じました。それにしても「ネギとコンニャク・ジオパーク」は委員からも賞賛と思える意見があったのには驚きました。
町民の方からのTシャツやのぼり旗、中小坂鉄山ハッピなど、他地域には無いアピールも出来たと自画自賛しました。
また、ロゴマーク考案者の宮川さんご夫妻もお見えになり、心配そうに見てましたが「来てよかった!」と関谷君の説明に感動していた様子でした。
参加者は、金井町長や神戸室長、大河原係長、新井君(総務課)、関谷君、また群馬県自然史博物館学芸員でジオパーク下仁田協議会委員の桒原さんも駆けつけてくれました。
プレゼン終了後は、ご当地土産披露しながら交流会が開催されました。
下仁田町からは、清酒「妙義山」「本宿」とコンニャクゼリーが紹介されました(他地域はお酒のみ)。大いに交流も深まり、職員にとっても大変貴重な体験学習が出来たと確信しています。
町長と職員は泊まりがけで、明日の日本ジオパーク総会に参加する。私は交流会終了後帰宅しました。
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